現象があらわれているその場所から、離れて、見る。
2024.2.27 / バランスコラム
例えば、バレーボールでジャンプし、着地したときに膝を痛めてしまったら「膝を痛めたから、膝を鍛えよう」ではなく、そもそも「膝が痛くなるような飛び方をしていることが問題ではないか」という問題の捉え方をしてみましょう。
すると、その事象が起こる前の「動き」から見ることになります。「動き」とは「過程」です。「着地した時の膝」だけを切り取ってピックアップしても問題の本質に辿り着くことができませんから、「動き」の前後関係を見てチェックすることが大切です。
空中の姿勢が悪い、というときも同じです。空中の姿勢だけを改善しようとしても、なかなかうまくいきません。そうではなく、ジャンプする前の段階からチェックしてみる。そこにすでになにかしらの問題がある可能性は少なくありません。
甲子園を狙う高校野球チームのエースが肩を痛め「投げると痛い」と言う。試しにココロのバランスボードに乗ってもらって投げてもらったら「あれ、痛くない」。つまり「肩」ではなく、投げる前の「最初の立ち方」から問題が始まっていたのです。
問題が事象としてあらわれたその部分だけを見るのではなく、一連の流れを見てみると、体の全体性やバランスに問題があったのだとわかります。そのように過程そのものや身体環境に目を向けることができれば、問題が違うものとして見えてきます。
良好なパフォーマンスが発揮されているときというのは、自然とちょうどいい塩梅に力が入るような身体環境ができています。意図的に力を入れて力むこともなく、緊張しすぎていることもなく、緩すぎて力がまったく入っていないこともなく。ちょうどいい塩梅、の感覚があります。
アスリートにとって、「鍛える」という行為はもちろん必要かもしれません。けれどそれだけではなく、もっと感覚的に、自分の感性を取り入れていくことをやっていかないと、自分の身体の塩梅がわからないまま、再び怪我をすることになってしまいます。
身体の「塩梅(あんばい)」とは、定量的に捉えることのできない、微調整という感覚によってのみ捉えうるもの、と言って良いでしょう。
アスリートは、自分で自分の身体の「塩梅」を知る必要があります。自分の体のことを他人任せ、トレーナー任せにしてばかりいてはいけません。
誰かに頼り切ってしまっては、ますます自分がどうしたらいいのか、わからなくなってしまいます。それは選手だけではなく、我々トレーナーにとっても同じです。選手に頼られすぎては、選手の能動的な機能が発揮されなくなってしまいます。
アスリート自身が「ちょうどいい塩梅」や「身体の感覚」といった視点やセンスを持つようになり、「怪我をしないようにするには?」と自分なりの探究をしていくようになれば、指導者やトレーナーとのコミュニケーションも変わってくるはずです。
ひもトレやバランスボードは、あくまでも、身体のちょうどいい感覚を手に入れるためのツールです。「ツール」という位置付けを強調するのは、それを活用する主体としての自分の動きこそが重要だからです。
自分らしく動く身体という主体を知ることは、つまり、素の運動を知るということです。それを知ることができれば、どこが問題を引き起こすのか、何が失われているのか、過剰なのかを知ることができます。そうすることで自分の取り組むべきことの輪郭が見えてくるのです。
おわり