「みんなオリジナル」
2022.7.19 / バランスコラム
隻腕のバスケ選手、ハンセル・エマニュエル( Hansel Enmanuel )さんを知っていますか。彼はすらりと伸びたしなやかな身体から素晴らしいパフォーマンスを見せてくれます。
片腕しかないという身体的ハンディキャップをまるで感じさせることなく、鋭くドリブルし、スティールし、スリーポイントシュートを放ち、ダンクを決めます。
ハンセル・エマニュエル選手のプレー動画
その素晴らしいパフォーマンスぶりから学ぶべきことが、わたしたちにはたくさんあります。今回のコラムでは、ハンセル・エマニュエル選手がわたしたちに教えてくれるバランス的視点について述べていきます。
ハンセル・エマニュエル選手は左腕がありません。ないからこそ、身体の使い方がとても豊かです。すでに持っている身体をよりよく使っているその様子は見ているだけですごく気持ちがいいし、見事だなあと感動します。
目が見えない人は、目のかわりに耳をよく使うようになるとか、皮膚感覚が鋭くなるとか、雰囲気を察知する能力が進化するなどと言います。例えば ベン・アンダーウッド(Ben Underwood)という盲目の少年が舌打ちの反射音を頼りに自転車に乗ったりバスケするのは有名です。
ハンセル・エマニュエル選手も、左腕がないからこそ、ほかの身体部位をうまく活用しながら、ひとつの全体としての身体をより良く使いこなすことができるに至ったのでしょう。
素晴らしいパフォーマンスを認められた彼は、ハイレベルなアメリカの高校の中でもトップクラスのバスケチームでプレーしています。パフォーマンス側から見れば、彼が左腕を持っているか持っていないかというのはもはや重要なことではない、とも言えるでしょう。
それは左腕がないことが理由にはならない、ということでもあります。そもそも身体はパーツの集合体ではありません。身体は全体としてひとつのものです。「腕」や「足」は、あとから名前をつけただけのもの。便宜的な理解のための言葉にすぎません。
わたしたちひとりひとりがじぶんの身体を持っています。左腕がない人も、足がない人も、背中が曲がった人もいます。それぞれが固有の身体を持ち、バランスもそれぞれです。そのひとりひとりが「じぶんはこういうバランスなんだ」と発見していくことはとても大切なことです。
じぶんにとってちょうどいいバランスを探していくこと、そしてそれを発見し、「じぶんはこういうバランスなんだな」とじぶん自身で納得することは、じぶんという唯一無二の個性を知ることに繋がります。
じぶんにちょうどいいバランスというものは固定されるものでもなく、いつも変化しています。そのときどきのバランスがあるのです。歳をとり背中が曲がったらぴーんと伸ばせばいい、ということでもなく、曲がったら曲がったなりにちょうどいいバランスがあるのです。
じぶんのバランスを大事にするということは、じぶんの身体を丁寧に見つめ、扱うことです。じぶん自身というものに気づいていくこと、とも言えるかもしれません。
ハンセル・エマニュエル選手のプレーは、じぶんを最大限に生かしています。その姿にわたしたちは勇気づけられます。元気をもらえたような気持ちにもなります。左腕の「ない」彼から、わたしたちは「あること」を知らされているのではないでしょうか。
わたしたちは、誰かと比べては、あの人はあれができていいなと羨んだり、じぶんに「ない」ものを見てしまったりしがちです。でも、そういうことは必要ではないのです。じぶんに戻ることのほうがずっと大事です。ひもトレやバランスボードは、じぶんに立ち戻るツールです。
じぶんがないまま外に正しさを求めるかぎり、外からの視線や他人からの評価に振り回されるばかりで、いくら探しても正解を見つけることはできません。たまに刺激を求めるくらいの意味で視線を外に向けるのはいいですが、それはあくまできっかけ程度。見つめるべきはじぶんです。
ハンセル・エマニュエル選手のパフォーマンスは、じぶん自身を探求した結果です。誰かと比べることもなく、じぶん自身になっていくプロセスのなかを歩んだ結果、オリジナルな存在にまでなったのでしょう。
「誰しも、ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく」と言いますが、本当にそうなのです。ひとりひとりがオリジナルの存在であり、じぶん自身になっていく過程を歩んでいます。それはじぶん自身に戻っていくことでもあります。
ハンセル・エマニュエル選手を多くの人が注目しています。みんなの視線の先で躍動する彼のパフォーマンスがわたしたちに教えてくれているのは、「ないからこそ、本来あることに気づく」ということの素晴らしさにちがいありません。
おわり